小さな瞳がコンプレックスでした。

小さな瞳がイヤで人の目を見ることが出来ないのがわたしのコンプレックスでした。小さい頃は自分がそこまで気にならなかったのです。しかし思春期に入ると一番変わるのは同級生の異性の対応が可愛い子に対する対応とぶさいくな子に対する対応が全く違うということにイヤでも気付きます。

中高校生になると少し可愛い友人といつも一緒にいるとどうしてもひねくれた性格が顔を出してしまうのです。私は容姿で友人を選ぶわけではありませんが、めっちゃくちゃ可愛い女の子が一番の仲良しだったのです。自分は友人の性格が好きで行動を共にしているのだから気にすることなどないのです。

もちろん相手の友人も同じように容姿が自分よりも劣っているからといって私を友人に選んだわけではないでしょう。ですが少しの差というのは曲者なのです。隣の席になった同級生が「どうせなら○○が隣になった方が嬉しい」と冗談ぽく言ってきたのです。

私の友人は特別可愛いわけではなかったのですが、目が大きくて薄茶色のとても可愛らしい目をしていたのです。彼女は私の好きだった人を射止めてしまったのです。そこから大きなきれいな瞳にコンプレックスを持ちました。

比較しようがないほどの美人。逆に自虐ネタにも使えるほど内面が鍛えられた

このように私が高校生になって最初に仲良くなった友人は驚くほどの美人でした。仲良くなってから知ったのですが、彼女は天然のワガママで、甘えん坊でした。ですが私はそれを含めて彼女が好きだったので、ワガママを言われて腹が立った時は正直にそう指摘していたのです。

彼女の周りでは特に異性がちやほやするのであまり怒ってくれる人がいなかったのでしょう。最初は私に「冷たい」だの「きつい」だのと言っていたのですが、段々慣れてくると私の意見を参考にしてくれるようになったのです。そして現在私は35歳ですが今も仲の良い友人です。

彼女もくっきりした可愛らしい目をしていたのですが、全体的にあまりにも可愛いので私など比較対象ではなかったのです。中学の時はあまり可愛い同性の友人など持ちたくないと思っていたのですが、逆にあまりに可愛いと全く気にならず、逆に自虐ネタにも使えるほど内面が鍛えられたと思っています。

しかもワガママで可愛い彼女は両親も非情に甘やかせて育てていたので、なかなか同性の友人が出来ませんでした。私の方は容姿は普通だったので同性の友人には恵まれていたのです。そして科が違っていて私は彼女よりも成績もスポーツもかなり上だったのは優越感を感じていましたし、そのことも本人にはきちんと正直に言ってありました。

容姿が優れていなくてもかなりの美人さんでも結果的に現在は同じくらいに幸せに暮らしています。本人の努力次第で幸せなどいくらでもつかめるものだと思います。今では逆にコンプレックスがあってこそ成長出来た部分が大きいので感謝しているくらいです。